2009年10月12日月曜日

なぜ、やってもいない罪を自白してしまうのか?

先日の足利事件でも、取り調べの録音テープを開示しなさいと菅家さんの弁護人が検察に要求したようですが、検察はしぶしぶながらマスコミには公表しないと言う条件付きで菅家さんご本人に提出ということになりました。

この辺のいきさつでも、他人の人生を奪っておきながら、それでも
・・・間違いを認めない、正そうともしない・・・
傲慢極まりない検察は相変わらず健在ですねぇ・・・・・困ったもんです・・・・・


さて今回の本題に入りますが・・・・
なぜやってもいないことを自白してしまうのだろうか?・・・犯罪とは無縁の一般市民はこのように不思議に思うのではないかと思います。

結論から言えば、それはある種の「拷問」によるものです。

戦前までは犯人を自白させるための拷問が当たり前のように行われていたようです。
もちろん現在は、憲法でも国際条約でも拷問は厳しく禁止されていますので、取り調べの際に拷問を受けると言うことはまずあり得ない?はずです。
ただし、それは肉体的な拷問に限ってのことです。

・・・・・拷問(ごうもん)とは被害者の自由を奪った上で肉体的・精神的に痛めつけることにより、加害者の要求に従うように強要する事。特に被害者の持つ情報を自白させる目的で行われることが多い。・・・・・Wikipediaより

これにあるように、拷問は肉体的な拷問に限ったことではありません。
精神的拷問も立派な拷問であるというわけですが、この精神的拷問の定義ほど曖昧なものもありません。

受け手によってまったく受け止め方が違うということが、精神的拷問を曖昧にしてしまう最大の原因だからなのでしょう。
しかし、私の経験では、逮捕から刑の確定までの間、日々ひどい精神的拷問を受けていたと断言できます。

逮捕されること自体、それを平常心で受け止められる人はまずいないであろうし、先行きが見えないことの恐怖心は言葉に出来ないほどの不安です。
それらを別にしても、警察・検察において絶え間ない精神的苦痛を与え続けられます。

それらは日常的にあまりにもたくさんありますので、追って書いていこうと思いますが、今回は警察署でのことを書いてみます。

警察官は人を見る・・・そういう話をとあるブログに書き込んでいらっしゃる方がいましたが、まさにそのとおりです。
逮捕されると、その後起訴となる者は少なくても20日間程度、長いと数ヶ月に及び警察署の留置場に拘留されます。
その間、留置場が生活の場となるわけですが、留置される人によって待遇は天地ほどの差があるのです。

留置場でもっとも優遇されるのはいわゆる「やくざ」です。
それが大きな組織の幹部だったりすると、警察官たちの気遣いは異常なほどです。
犯罪組織の被疑者を警察が優遇するとは、なんともおかしな話ですよね?
そのほか優遇されるのは、大量の覚醒剤や拳銃などの犯罪関連です。
これは警察官の手柄の問題だと安易に想像できます。

逆に冷遇されるのは・・・・・
たいした手柄にはならない「こそ泥」や「痴漢」といった比較的軽度の犯罪者。
そして問題なのは、自分たちの思いどおりに自供しない「事件を否認する」ような被疑者なのです。
それは、いわゆる冤罪の対象となってしまう人たちが含まれます。
こういう人たちは冷遇されるどころか、とことん嫌がらせを受けることになります。

どんな嫌がらせを受けるのかというと・・・・・
留置場から全く出してもらえない。(”干される”という言い方をします)
運動時間(そういう名の喫煙時間です)に喫煙ではなく本当に運動をさせられる(”これは運動時間なんだから”と、喫煙させてもらえないということです)
担当刑事に一切無視される(”おまえの自白以外に用は無い”とまで言われる)
等々・・・・
彼らは暴力以外のあらゆる手段で嫌がらせをしてくるわけですから、自由を奪われ追い詰められた身とすれば、「彼らの言いなりになって認めてしまえば楽になれる」、と考えてしまうのは自然の流れでしょう。・・・・・



今回はこのへんでやめておきますが、彼らのやり口はまだまだ序の口しかお話しできていません。
続きは追って書いていきますので、全部読んでいただけたら、なぜ自白してしまうのか、良くお分かりいただけることと思います。

ところで、
逆に、優遇される人に彼らはどんな優遇をしてくれるのかと言いますと・・・・・
これはかなり脇道にそれてしまいますので、今回は割愛させていただきます。
ただ、かなりおもしろい話ではありますので、後日余談として書かせていただこうと思っています。

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